夫に疑問を持ったきっかけ
『私は夫に尊厳を踏みにじられている』
初めてそう意識をしたのは、実家で食べたハンバーグがきっかけだった。
「――美味しい!」
とある土曜日、歯並びが悪く、虫歯の治療や歯のメンテナンスで歯医者の常連である私は、その日も歯医者に通うべく母の厚意で娘を預かってもらっていた。夫は仕事である。夕飯も外で食べると聞いていたので、その日は実家で夕飯をごちそうになる約束をしていた。
母は事前に電話口で娘が何を食べられるか確認してくれており、私が娘に「何を食べたい?」と聞くと、娘は「ハンバーグ!」と元気よく答えた。(後日、実はハンバーガーだったことが判明する。)
言葉通りハンバーグを用意してくれた母。今思うと娘は少し引っかかるような顔をしてハンバーグを口に運んでいた。
娘がしっかりご飯を食べているところを見届けてから、私もご飯を食べ始める。
母のハンバーグは久々に食べるな、と考えながら、私はハンバーグを口に頬張った。
「美味しい!」
あまりの美味しさに、思った以上に大きな声が出た。
突然の大声に母と娘は驚いた顔で私の顔を覗き込む。自分でも己の声の大きさに肝をつぶしたほどだ。
驚かせてごめんね、と二人に軽く謝罪をし、母に昔とハンバーグの作り方を変えたのかと質問した。何も変えていない、と首を振る母。
久々に食べたからこんなにも美味しいと感じるのだろうか、と疑問に思いつつ箸を進めると、数口目でソースが原因だと思い当たった。
子供の時から食べていた母のハンバーグに、私はいつも母が生協で買ってきてくれる野菜ソースをかけていた。
なので母のハンバーグの味はソースも含め何も変わっていない。
変わったのは、中濃ソースを買うようになった私だ。
数年ぶりに味わう野菜ソースは思わず叫んでしまうほど美味で、なぜ私は長い間中濃ソースを使っていたのだろう!と激しく後悔した。そしてハンバーグを食べ終わるころに、私はここ数年自分が野菜ソースを買っていなかった理由を思い出したのだ。
夫だ。
まだ夫と付き合っていた頃、一人暮らしをしている私のアパートに夫は職場に近いからと時折泊まりに来ていた。あの日もハンバーグを食べていて、夫は私お手製のハンバーグを一口食べるなり「なんだこのソース!」と叫んだのだ。
「生協で売っている野菜ソースだよ、美味しいでしょう?」
夫の実家の近くには生協がなかったからこの野菜ソースを知らないのだろうと、野菜ソースのすばらしさを語ろうとした私に夫は、
「ふつう中濃ソースだろう!? おかしいんじゃないの?」
とその後も激しく中傷してきた。私とあなたの好みが違うだけでしょう、おかしいと言われるいわれはないと私も反論はした。
ただ、言ってしまえばたかがソースだし夫がそこまで野菜ソースを使いたくないのならば、と私はこのやり取りの後は中濃ソースを買い、それからうちの食卓に野菜ソースがあがることはなくなったのだ。
母は私のあまりの野菜ソースへの感動を目にし、また買ってくればいいからとまだ半分以上残っている野菜ソースを惜しげもなくくれた。
翌日、私は朝食の目玉焼きに野菜ソースをかける。
「お、何? そのソース。美味しそうだね」
夫は7年前の自分の発言は全く記憶にないようだ。
「俺も使ってみようっと。――美味しいじゃん! このソース、どうしたの?」
瞬時に私の頭は沸騰し、言い返したい言葉が山ほど浮かんでくる。しかしあまりの言葉の多さに何を伝えたらいいのか、言葉に詰まる。
一呼吸の後、私は「母にもらったのよ」、としか夫に言葉を返せなかった。